弘前市十腰内猿沢

2015/08/27取材


巌鬼山神社は、延暦15年(796)、岩木山北麓に巌鬼山西方寺観音院が建立されたことに始まり、大同2年(807)坂上田村麻呂の蝦夷平定祈願のため再建されたと伝えられる。

また、文安5年(1448)に社殿が野火によって焼失したが、長見氏によって再建され、その後、津軽藩祖の津軽為信が修復したほか、慶長9年(1604)にはその子信建が「津軽総領主宮内 大輔藤原臣」銘の鰐口を奉納している。

本殿や厨子は、近世津軽地方の小仏堂が神社に変わった典型的なもので、細部の様式などもよく時代の特徴を残している。また、境内の大杉は、樹齢千年以上、高さ41mを越える巨大なもので、県内にはこれに勝るものはない。

津軽の地には、「鬼」にまつわる伝説が多くあるが、この地にもそれに類する伝説が伝えられている。

昔この地に、鬼神太夫という怪力の刀鍛冶がいた。この鬼神太夫が、桂山の刀鍛冶長者の娘に惚れ込み、長者に娘を嫁にくれと申し込んだ。

しかし娘をやりたくない長者は、鬼神太夫に「一晩で十腰(本)の刀を鍛えることができたら娘をやろう」と言った。もちろん、そんなことは到底できないと踏んでのことだった。

ところが、鬼神太夫はそれを真に受けて、本当に一晩のうちに十本の刀を鍛えてしまった。長者は驚くと同時に困り、その内の一本を盗み出し、鳴沢川に捨ててしまった。

鬼神太夫は9本しかない刀を何度も数え「十腰ない、十腰ない」と呟きながら、恨めしげに去っていったという。

この地の地名の「十腰内」はそのことに由来するという。

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