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青森県板柳町深味字深宮

2015/08/26取材

 

関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の次男重成は、杉山源吾と名を変えて、徳川の追及を逃れ、この地の神家に身を寄せた。

源吾の長男の八兵衛吉成は、源吾の妹辰姫の子で、三代藩主信義に召し出され、後に組頭千三百石の本侍となり、この地一帯が知行所となった。

弘前城下に移り住むまで、この地で生活したといわれており、この地の人々はこの屋敷を「杉山屋敷」と呼び、樹齢数百年の老松が枝を張っている。