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青森県三戸町字斗内

2012/11/05取材

天明3年(1783)4月に岩木山が、7月には浅間山が噴火し各地に火山灰を降らせた。さらに日射量の低下にともない冷害となり未曾有の大飢饉が起きた。この地も翌年にまたがり大飢饉に襲われ、餓死、疫病でたおれた者などの無数の遺体が、山野、路傍に放置されていた。

林泉寺檀頭の栗谷川藤右衛門は、これを哀れみ、せめて頭首だけでも葬ろうと、首一つにつき二十四文支払い、千個の首を集め4つの塚に葬り、石塔を建てて供養したと云う。