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青森県三戸町字同心町…長栄寺

2012/11/05取材

檜山御前は、南部第二十六代南部信直の次女である。文禄4年(1595)、秋田実季の弟の忠次郎英季に嫁いだ。しかし英季とは不縁となり、そのため三戸に戻り余生を送り、檜山御前と呼ばれた。

南部氏は、秋田氏とは比内郡を巡り激しく争っていたが、天正18年(1590)には、豊臣秀吉が小田原を攻略し、翌年には九戸政実の乱も平定され、奥州仕置により比内郡は秋田氏の支配となった。

檜山御前が嫁いだのはこのような時期で、南部氏には秋田氏と安定した関係を築こうとの意図が働いたものと思われる。三戸では、英季が病死したため不縁になったとされているが、実際には英季は、秋田氏と関係が深かった若狭で没しており、不縁になったのは、その後の秋田氏の盛衰と関わりがあるのかもしれない。いずれにしても、御前は三戸で元和6年(1620)に没した。

五輪塔は、安山岩質の石質の石材が用いられ、上からそれぞれ「地」「水」「火」「風」「空」 をあらわす梵字が刻まれているが、戒名等は記されていない。塔は西を向いて建てられており、嫁ぎ先の秋田を向いて建てられたのだと伝えられる。