青森県三戸町字同心町

元亀元年 (1570)、南部中興の祖の、南部第二十六代の南部信直が、 伊勢の神宮より天照皇大神を分霊し、著木山山頂に勧請したのが始まりとされる。

南部信直は、永禄8年(1565)、南部宗家の南部晴政に男子が無かったため、その長女の婿となり養嗣子として三戸城に迎えられた。信直は、鹿角郡に侵入した安東愛季軍を撃退するなど武名を挙げたが、元亀元年(1570)、晴政に実子が誕生し、晴政から次第に疎まれるようになった。

この社伝による勧請時期が正しいとするならば、この時期は、天正19年(1591)の九戸政実の乱につながる南部氏の後継争いの始まりの時期である。その後、天正10年(1582)、南部晴政が没し、その実子の晴継が暗殺され、南部信直が第26代当主を継承し、盛岡南部藩の基礎を築いた。

その後、南部氏は本拠を盛岡に移したが、武運長久の祈願所と定められ、歴代南部藩主の崇敬を集めた。寛永6年 (1629)に、 南部藩士藤枝宮内が自分の館を奉納してこの地に社殿を移し、明和元年(1764)には、南部藩により壮麗な新社殿、並びに神楽殿が造営された。

現在の社殿は、昭和62年(1987)に再建されたものである。

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