青森県三戸町字川守田

享保10年(1725)、八代将軍徳川吉宗にオランダ人が献上したペルシャ(春砂)馬が、馬産地として知られていた南部藩に下賜された。南部藩はこれを住谷野に放牧し、種馬として馬匹の改良を図ったが9歳で死んでしまった。

関係者はこれを悼み、丁重に弔い、三葉の松を植えて墓印とした。人々はこれを馬の神としてあがめ、参詣するものが絶えず、このため元野馬別当の石井玉葉が寛保3年(1743)、追善の為馬頭観世尊としてまつり、追喜の句2句を添えて建碑した。

南部藩においては、このペルシャ馬の血統が受け継がれることはなかったようだ。当時の馬に対する考え方は、武士が甲冑をつけて騎乗するか、あるいは荷駄を引くことが主目的で、ペルシャ馬は馬体は大きかったが足が細く、この目的には不向きと判断されたと考えられる。また、当時南部藩が取り入れていた蒙古馬と比べて少産で、寒冷地での放牧での粗食に絶えられないと判断されたようだ。

この碑は、日本の産馬史上においても、外国馬に関しての最古の資料として有名である。

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