青森県三戸郡南部町沖田面南古館

 

平良ヶ崎城は、馬淵川北岸の南へ伸びた台地上にある平山城である。南郭と北郭の2郭があったとされ、その間の、現在東西に走る道路が空堀跡である。

南郭跡には、現在は廃校になった南部中学校がおかれていて、整地されたようで、遺構らしいものは見られない。現在は公園として整備される計画があるようだ。

南部三郎光行は、建久2年(1191)10月、家臣73名を引き連れて、六艘の船で鎌倉の由比ヶ浜を出発し、12月に糠部郡八戸浦に到着した。最初は三戸の相内に仮の館を置き年を越え、翌建久3年(1192)、この五戸へ通じる道と、八戸へ通じる道との分岐点にあたる地に、政庁として城を築いた。この城が完成すると、光行は世子の実光をここに留めて自らは鎌倉に帰ったとされる。

当時の鎌倉御家人は、みずからは鎌倉に住んで幕府に出仕し、与えられた所領には一族あるいは代官をもって所領の支配にあたっていた。南部実光もそうだったようで、南部氏が本格的にこの地に下向するのは鎌倉時代後期から南北朝期にかけてのことと思われる。

鎌倉時代後期から鎌倉幕府の滅亡を経て、南部氏一族は本格的に奥州に下向し、周辺に一族を配し城館を整備していったものと考えられる。

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