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青森県階上町蒼前西3丁目

2013/10/07取材

馬産地として知られる南部藩領には、馬の守護神である蒼前神社が多くある。この地の蒼前神社も馬の守護神として信仰されてきたが、この地には、次のような藤原有家の伝説が伝えられる。

源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将藤原有家は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、蒼前平まで来たところで愛馬がとうとう倒れてしまった。有家は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀ったと云う。

ここに出てくる藤原有家は、藤原定家とともに『新古今和歌集』の撰者として有名であり、治承2年(1178)に少納言となり、歌人として広く知られ、建保3年(1215)に出家して寂印と名乗り、翌年に没している。

恐らくは、三陸海岸沿いに散在する義経北行伝説や、平家の落人伝説、さらには岩手県種市村にある「有家」の地名をモチーフにしていると考えられる。