青森県八戸市河原木八太郎山

 

定説では、源義経は平泉の高館で、鎌倉の源頼朝の意を受けた藤原泰衡に攻められ、妻子ともども自害したとされる。しかし三陸海岸から八戸、津軽半島に到る各所に義経主従に関わる伝承が残されている。いわゆる義経北行伝説である。

この地方の伝説では、種差海岸に上陸した義経主従は、長者山の高館に一旦落ち着いた。その高館から東北の州崎の下通りは、5月頃から夜になると蛍が多く飛び交い、義経はこれを見て大層面白く思い、八太郎山一帯を「ほたるヶ崎」と名付けたと云う。

かつて八太郎山の北方には八太郎沼をはじめとした大小の湖沼と海まで続く湿地帯があり、このほたるヶ崎からの光景は八戸八景の一つに数えられており、現在は公園として整備されている。

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