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青森県つがる市木造越水

2013/06/09取材

 

天皇山は、水田地帯の中にある標高約57mの小さい山である。山頂には稲荷神社があり、この地域の方々の憩いの場になっている。この地には、古くから安徳天皇に関わる伝説が残っている。

定説では、壇の浦での源平の戦いで、安徳天皇は平清盛の妻で天皇の祖母にあたる二位の尼に抱かれて海に身を投じ、わずか8歳で崩御した。しかしこの地の伝説では、投身したのは安徳天皇ではなく、安東水軍の将の塩飽次郎左衛門の子辰丸だったと云う。安徳天皇は安藤氏に守られて津軽に逃れ、この天皇山に宮をつくり居したと云う。その後、天皇一行は中国に渡ったと伝えられる。

この地では、明治時代以降、「天皇」を冠するのは不敬であるとの考えもあり、この地では「高山」と呼ばれることも多い。また同様の理由からか、この天皇山を観光の目玉として売り出そうとしたこともあったらしいが取りやめになったようで、この伝説なども観光パンフレットには記載されていない。