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青森県十和田市洞内

 

二つの川に挟まれた、東側に延びる比高約40mの丘陵上に築かれた平山城。北側から東西に南に食い込んだ沢があり、これを自然の堀とし、その間を城域としている。規模は、東西約160m、南北220mほどである。内部は、東西に走る空堀で南郭と北郭に区画され、主郭は現在の法蓮寺境内にあたる。

築城時期、築城主ともに不明であるが、城主は三戸南部氏の譜代家臣の洞内氏と伝えられる。城跡の法蓮寺は、鎌倉初期に北条時頼が帰依した法身和尚が、洞内城主の洞内由之進に請われて創建したと伝えられていることから、すでにこの時期にこの地は洞内氏が治めていたと考えられる。

その後、この糠部郡には三戸南部氏が入部し勢力を拡げ、洞内氏はその早い時期に三戸南部氏の支配下に組み込まれていったと考えられる。

天正19年(1590)に勃発した九戸の乱では、洞内氏は南部信直に与したため、九戸方の七戸城主七戸家国により攻められ、洞内城は落城、洞内氏は五戸に逃れたと伝えられる。

九戸の乱が鎮圧された翌天正20年(1592)破却された。

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