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青森県十和田市洞内沼田野

2013/10/08取材

法身和尚を埋葬した塚と言われ、市の有形文化財に指定されている。

法身和尚は鎌倉時代、現在の茨城県真壁郡に生まれて平四郎と称し、真壁左衛門尉経明に仕えた。しかし故あって出家し、中国の宋に渡り禅行を修め、真壁に伝正寺を建てた。

その後法身は、諸国を巡錫し松島の岩窟で修行をしていた時に、同じく諸国を遍歴していた北条時頼に出会った。時頼が、一夜の宿を貸しては頂けないかと頼むと、法身は「沙門は三界を宿とし一心を安んじて本宅となす。誰を主とし、誰を客とせん」と答え、時頼を丁寧に迎えた。二人は意気投合し法談で時を重ねた。話すうちに時頼は法身の禅僧としての高潔さにうたれたと云う。時頼はその後、瑞巌寺を臨済宗の寺として改めたとき、法身を探し出し瑞巌寺の住職とした。

後に、洞内城主の洞内由之進に請われて法蓮寺を創建しこの地で没した。現在も法連寺に残る法身像は、法身和尚を慕って洞内に移ったかつての主君の経明が、法身和尚と向かい合い、互いに相手の像を刻みあったものと伝えられている。