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青森県東通村字尻屋

2012/07/10取材

尻屋崎海域は、津軽海峡の東の口で、周辺海域は潮の流れが変りやすく、また濃霧がよく発生するため海上交通の難所として古くから恐れられていた。そのため江戸時代には、この海域を避けて、下北半島の物資は専ら北前船で西廻り航路をとり日本海経由で運ばれた。

現在も、津軽海峡を通る船舶にとっては危険な海域であり、そのため明治9年(1876)、岬の先端に東北で初めての洋式灯台が建設された。この明るさは日本最大級といわれ、光度200万カンデラで、レンズの大きさは大人の身長よりも大きい。

また、この岬一帯には「寒立馬」と呼ばれる馬の放牧場となっている。この地の馬は、古くは「野放し馬」と呼ばれていたが、厳冬の中でカモシカが何日もじっと佇む姿を「寒立(かんだち)」ということから、「野放し馬」が「寒立馬」と短歌に詠まれそれが定着した。

文治5年(1189)、奥州藤原氏征討の軍功により、この地一帯は甲斐の南部光行が領した。南部氏は軍用馬の為の放牧場を各地に設け、この地もその中の一つと考えられる。南部氏は、享徳3年(1454)頃、ロシア、韃靼、蒙古から馬を輸入し品種改良を行い、この地の「寒立馬」も蒙古馬の血統を継いでいるとされ、粗食で寒さに強く、従順な性格だという。

その後も藩政時代から明治、大正、昭和にかけて、主として軍用を目的として改良され、この地ではフランスのブルトン種をかけあわせて独自の種類を生み出した。平成7年(1995)には9頭まで激減したが、その後の保護政策により40頭ほどに回復した。寒立馬及びその生息地のこの地は、青森県の天然記念物に指定されている。