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青森県佐井村字佐井

 

康平5年(1062)、前九年の役の際に、奥州平定の為源頼義がこの地に至った。この半島の尻屋崎には昔から悪鬼がいて、付近の住民に害をあたえていた。そのため、村人は頼義に、その鬼を退治してくれるように依頼した。

頼義は、安倍貞任、宗任の乱を鎮めた後に、兵を尻屋崎の近くまで進め、浜で身を清め御幣を奉って源氏の氏神である八幡神に武運を祈った。

その十七日目の祈りの最中、あたり一面にわかに暗くなり、猛烈な風が吹き逆波が翻り悪鬼が現れた。すさまじい形相の悪鬼に、頼義の兵は為す術もなく次々と踏みつぶされていった。

その時、白鳩が一羽飛び立ったかと思うとそこに白衣の八幡神が現れ、神弓に神矢をつがい悪鬼に向かって放つと、矢は額の真中を射通し悪鬼を退治した。

頼義は、神が矢を放った地に兜を埋め神の加護に感謝し、また神が悪鬼を退治したとき用いた箭根石(矢じり)が数多く出土する霊地のこの地に社殿を建立し、国家守護を祈願し八幡神を祀ったと云う。

しかしその後、戦乱などにより社殿は荒廃し、神主も絶え衰退した。江戸時代になり、盛岡藩三代藩主南部重信がこの地に立ち寄り、この地は神が鎮座する無双の勝地と聞きこの地を参拝し、箭根森八幡宮社殿を再建したと伝える。

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