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青森県五所川原市相内

2012/05/14取材

 

この日吉神社一帯は、「山王坊」とも呼ばれ、古くから霊地として畏敬の対象とされていた。

一帯からは、南北朝~室町時代にかけての、五輪塔、宝篋印塔、板碑などの石造物が出土している。また調査の結果、多くの礎石群が発見され、庭園と考えられる流水路も発見され、大型寺院風拝殿跡、渡廊跡、舞殿風拝殿跡、本社殿跡等二組の社殿列跡が確認されている。また中世の陶磁器片、金具片等の出土遺物と併せて、東北最大規模の宗教遺跡であることが立証されており、古文書にある「十三千坊」の中心地と考えられている。

この地一帯を支配した安東氏に関わるものと考えられ、南北朝期に繁栄を極めた神仏習合の宗教施設として阿吽寺も建立されたが、その後の戦乱により、南部氏によって焼き討ちされたと伝えられる。

現在の日吉神社は、滋賀県大津の日吉神社の末社として建立されたもので、鳥居は山王鳥居の一種だが、最上部に笠木のある二重鳥居は全国的にも珍しく、また、柱の前後に控柱を設け貫をつけた両部鳥居は神仏混淆の神社に多く見られる。