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青森県横浜町字茅平

震災前取材

別名:軽石八幡神社

天喜(1053)、前九年の役で下北の地に逃げた安倍貞任らを征伐した源義家は、大湊から船で帰陣の折、源氏の軍団が乗った船が大嵐に遭った。そこで義家は、襲い来る大波を弓で射つつ祈ると、忽ち波は穏やかになり、無事に源氏ヶ浦に到着し、この地の森に宿営したと云う。

義家は感謝をもってこの地に八幡神社を勧請した。義家が射た波は後に軽石となり八幡神社の裏手の浜に打ち上げられ、八幡神社はその軽石を賜り、以降軽石八幡神社とも称されるようになったと云う。

この地の伝説にある安倍貞任は、定説では盛岡の厨川での戦いで捕らえられ、深手のために死んだとされるが、津軽には貞任の子の高星丸を祖とする安東氏が後年津軽に勢力を拡大した。この地の伝説はそれらに関わるものかもしれない。