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青森県むつ市大湊新町

2012/07/10取材

明治元年(1868)の会津戦争に敗れ廃藩となった会津藩は、翌明治2年(1869)、松平容保の嫡男の容大(かたはる)を当主として斗南藩として再興が許され、旧盛岡藩領だった北郡へ移封された。

現在の青森県下北郡、上北郡を中心に、会津から移住して来た藩士とその家族は2600戸、17300余人と記録されている。この内、新しい藩庁が置かれた田名部を目指し、新潟港から新政府借り上げのアメリカ蒸気船ヤンシー号に乗り、日本海回りに海路をとって移住してきた藩士とその家族の一団1800名が、明治3年(1870)6月にこの大平浦に上陸した。

記念碑は平成元年(1989)に設置されたもので、会津若松市から寄贈された鶴ヶ城の石垣に使用されているものと同じ慶山岩で組み立てられ、記念碑正面は会津若松を望んでいる。