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青森県黒石市字温湯

2012/11/04取材

江戸時代初期に、津軽に配流中の公家の花山院忠長が、この地を訪れた時に薬師像を安置したと云う。

その後、津軽藤崎出身の僧侶宗運が、江戸に上り黄檗宗の修業をし、帰国後、延宝7年(1679)この地の薬師堂傍らにあった庵を譲り受け、津軽で最初の黄檗宗の寺である法眼寺を開山した。

天和3年(1683)、黒石ニ代領主の津軽信敏により「宝厳山法眼寺」と命名され、元禄4年(1691)、領主の祈願所として薬師堂を残し黒石の山形町に移された。その後、享保9年(1724)、弘前藩五代藩主津軽信寿が温湯温泉に湯治に立ち寄った際、「山寺」という漢詩を詠み、境内の紅葉を賞賛し、「瑠璃山薬師寺」の寺号を授けられ、今日に至っている。