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青森県青森市栄町

2013/04/26取材

この諏訪神社は、一条天皇の御代の寛弘年中(1004~1012)、陸奥国司藤原実方の勧請により、もと造村浪打の地に鎮座したのに始まる。

この地は、当時外ヶ浜の一漁村であった善知鳥(うとう)村の地だったが、寛永元年(1624)、弘前藩二代藩主津軽信枚により開港奉行に任じられた森山信実により、弘前藩の外港「青森」として開港した。

諏訪神社は、この時期の寛永8年(1631)、青森湊の守護神として堤川中洲に遷座された。爾来津軽歴代藩主をはじめ民衆の崇敬篤く、藩主たびたび参拝をしたという。青森港はその後江戸時代を通じて弘前藩の商港として栄えた。

明治5年(1872)、大火により社殿を始め、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹も烏有に帰した。その後、明治40年(1907)には総欅流造の本殿を再建、大正10年(1921)には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を再建した。

太平洋戦争末期の昭和20年(1945)7月28日の青森大空襲により、本殿、拝殿などことごとくが戦火に帰した。それでも戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年(1949)には拝殿が復興し、昭和47(1972)年には本殿が造営された。

諏訪神社はかつては河口近くの中洲にあり、祭日にはイルカが群れをなして堤川をのぼり参詣したと伝えられる。