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青森県五所川原市脇元

2012/05/14取材

 

洗磯崎神社は、中世この地を治めた安東氏が崇拝したといわれている、荒吐神を祀った神社である。安東氏は蝦夷とも関係が深い安倍比羅夫、安倍貞任などの裔を称していた。この地は本来蝦夷の文化圏であり、付近の靄山に残る岩木山信仰など、蝦夷信仰の地だったと考えられる。

文永11年(1274)、天台宗の僧賢坊により薬師堂が建立されると、それ以来薬師信仰も盛んになり、 祭日には白旗立てた参詣者が近隣から集まり賑わいをみせたと云う。明治までは、薬師宮あるいは薬師堂と呼ばれていたが、神仏分離令により洗磯崎神社と改められた。