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秋田県大館市曲田

震災前取材

 

この大館市の曲田地区の北鹿ハリストス正教会聖堂は、曲田の最初の信者であった豪農イオアン畠山市之助が、明治25年(1892)、私財を投じて聖堂として屋敷内に建立したもの。聖堂建立以前、十数年間は畠山氏私邸をもって仮祈祷所として使用してきたが、信徒増員に伴い不便を来したので聖堂建立を決意したと云う。

安政4年(1857)、大館にも蝦夷地警備のための出兵が命じられ、木村譲斎は函館でロシア正教の伝道師のニコライと出会った。ニコライは譲斎から日本について多くを学び、譲斎自身はロシア正教徒となることはなかったが、ニコライの伝道を側面から支援した。その後ニコライは秋田で熱心にロシア正教の布教を行った。

大館にはアレキセイ山中友伯が入り布教活動を行った。畠山市之助は明治12年(1879)洗礼を受けた。畠山市之助はその後、十ニ所町町会議員として町政に尽くし、また、部落の生活改善の為の一策として、葬式、供養等、仏教に比較して費用がかからないキリスト教を町民に勧め、町民のほとんどを信者に導いていった。

明治25年(1892)には曲田福音聖堂を建立し、曲田周辺の伝道にあたり、ニコライにより「真の正教徒」として数々の説教で紹介される程の篤信家であったが、大正4年(1915)永眠した。