秋田県大館市比内町独鈷字大日堂前

震災前取材

 

独鈷大日堂の創建はダンブリ長者伝説にあり、継体天皇17年(523)に勅命に より、鹿角の小豆沢と八幡平の長牛の大日堂とともに創建されたと伝えられる。

ダンブリ長者伝説では、継体天皇の妃の吉祥姫はダンブリ長者の一人娘で、長者夫婦が年老いて亡くなると、吉祥姫は帝に願い、ゆかりの地に大日堂を建てさせたと云う。

この独鈷は、長者夫婦の妻が生まれた地とされ、長者夫婦が霊夢により運が開けるようになった正月2日に、国指定の重要無形文化財の大日堂舞楽が奉納される。

養老2年(718)、ダンブリ長者伝説を聞いた元正天皇の命により、僧行基が御堂を再建し大日如来を安置した。中世は比内の浅利氏の氏神となったが、大永2年(1522)、浅利氏と南部氏の争乱によって堂は焼失した。それでも翌々年には浅利則頼により再建され、浅利氏の庇護を受け、真言宗の修験霊場とし神仏混合として発展した。

江戸時代にはこの地は佐竹氏が支配したが、佐竹氏からも庇護を受けて、現在の社殿は寛文12年(1672)に十二所城代の塩谷重綱が再建したもの。

この大日堂には多くの牛の絵馬が奉納されており、またこの地では牛肉は食べてはいけないと伝えられているという。これは、社殿の建設の際に、材木などを運ぶ牛の多くが、疲労や事故で犠牲となったことに由来すると云う。

また大日堂には浅利氏の琵琶が宝物として残っているとされ、次のような話が伝えられる。

延享年間(1744~48)、盲目の旅僧が大日堂に宿を取った。すると夜半に老婆が現れ、「この地に、浅利の殿様が愛用した琵琶がある。わたしは間もなく遠いところへ行かなければならないが、もう一度その音を聞きたい」と頼んだ。旅僧が承諾すると、老婆は堂に琵琶を持ってきた。

僧は、終夜その琵琶をかき鳴らして老婆に聞かせると、朝方になり老婆は「これで思い残すことはございません」と礼を言い、その姿は消えて琵琶だけが残されていた。その一ヶ月程後、独鈷の山々が地鳴りをたて黒雲がわき上がり、竜が天高く上がって行った。その竜はあの老婆であったと云う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です