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秋田県秋田市藤倉

2016/07/28取材

 

藤倉神社は、延暦年間(782~806)、蝦夷征討のためこの地に到った征夷大将軍坂上田村麻呂が、戦勝祈願をしたことから始まったとされる。その際に、藤の巨木を影向の神体として藤倉大権現を祀り、併せて大悲千手観音を安置したと云う。

その後、応徳、寛治年間(11世紀末)、後三年の役で源義家が苦戦し、この社で田村麻呂将軍が戦勝祈願をしたと聞き、元結に結いこんでいた持仏の1寸8分の観音菩薩像を祀り祈願し勝利を得たという。これ以降、藤倉観音と呼ばれるようになった。その後、秋田には源氏の子孫にあたる佐竹氏が入り、佐竹氏は代々水上神として崇敬した。

当初は、この地の東方約1kmの地にあったが、承応2年(1653)現在地に再建された。また文化8年(1811)、秋田佐竹藩第9代藩主佐竹義和により再興され、明治6年(1873)村社となった。

仁別へと続く旧道沿いにあり、太平山講の庚申塔などもあり、明治の神仏分離令までは、太平山に関わる神仏混交だったと考えられる。

境内の仁王尊像は身丈1丈2尺と県内屈指の大きさで、再建以前の作と伝えられる。