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秋田県秋田市牛島東

2016/07/27取材

 

平安時代の桓武天皇の時代の創建と伝えられ、坂上田村麻呂が蝦夷討伐のためにこの高清水丘に陣をはり戦勝祈願をしたとも云われている。境内には多くの句碑、大樹などもあり、昔からこの地牛島の鎮守として住民の崇敬を集めている。

江戸時代以前より三光大神として、『日、月、星』を祀ったとされ、菅江真澄も「竹原三光宮トテ日月星ヲ斎クニ云々」と記述されている。神紋の三つの輪は『日・月・星』の三つの光を現しているという。

この地は、秋田久保田藩の久保田城より南西の裏鬼門の方角にあたり、また参勤交代で江戸に向かうための交通の要の地にあり、鬼門方位除け、九曜星厄除と星の巡りによる災難除けの神社として、秋田久保田藩からも崇敬を受け、この社に伝えられる文久年間(1861~1864)に制作された獅子頭には、秋田久保田藩主佐竹氏の、五本骨月扇紋が付されている。

またこの地には、坂上田村麻呂将軍の杖から成木したと伝えられる古異木があった。その木の二又からは清水が涌き出で、霊水の木とも呼ばれていたが、昭和12年頃(1937)二又の一方が枯死し、霊水もとまったと伝えられる。

明治43年頃(1910頃)八幡神社、神明社、熊野神社などが合祀され、三皇熊野神社となった。