秋田県男鹿市男鹿中滝川字寒風山横通

震災前取材

 

寒風山は、男鹿半島の東部にある二重式火山。標高は355m、山容はコニートロイデ型、全山が芝生に覆われている。山頂からは周囲360度の眺望が開け、東に八郎潟、南北に日本海、遠く鳥海山、西に真山、本山の連峰、入道崎が一望に見渡せる。芝生に覆われた山肌 と、近隣に障害物がないことから、パラグライダーが盛んに行われ、風光明媚なこの地は、男鹿市を代表する観光地に位置づけられている。

最初の火山活動は60mの段丘を貫いて溶岩台地を形成、次の活動で現在展望台のある塔の峰や、蛇越長根のドームが形成された。山頂北西側には経ノ町とよばれる直径約600mの第一次噴火口がみられ、南西方には古玉ノ池といわれる新火口が鉢状に残っている。

文化7年(1810)、この付近を震源とする群発地震の記録があり、死者61名に上ったという。このとき、江戸幕府に提出された文書には寒風山が噴火したとされているが、被害や噴火の詳細が全く書かれておらず、噴火の堆積物も見つからないため、農作物の被害を水増し申告するための布石として、江戸の久保田藩邸において創作し、江戸幕府に提出したものと考えられている。

寒風山は、妻恋山とも呼ばれ、かつてこの地に下ってきた都人が

あしびきの 山の秋風 寒き夜に なほ妻恋の 鹿ぞ鳴くなる

と詠み、その「寒」と「風」を採り名づけられたといわれ、また「妻恋山」もこの句から来ていると伝えられる。また、漢の武帝が白い鹿の引く飛車に乗りこの地に来たり、この山に降りたことから「漢武山」になり、いつしか「寒風山」となったとも云われている。

菅江真澄もこの地を訪れ、寒風山から周囲を眺望し「男鹿の秋風」に、次のように記述している。

昔、この寒風山の名を妻恋山、また羽吹風山ともいったということである。ようやく、よじ登ってみると、八尺あまりの九層の石塔がある。どのくらい年数を経たものであろうか、そこに苔など生いひろがっている。この塔のそばに倒れている近世の石碑に、梵字がかすがに見られた。谷底に臨んで野原のような広場があり、ここを経の町というどんな由来があるのであろうか。

右手の谷に岩山があり、そのあたりの落窪になっているところを旧珠の池といい、大蛇が通ったという大岩がある。この寒風山の麓は、湖と海にとりまかれていて、ちょうど近江国(滋賀県)の伊吹山に登り、左方に毛無山、右方に潮津、貝津、山本山など見わたしたようで、三千世界の一望のうちに尽きるとも思われ、すばらしい眺望であった。

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