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秋田県秋田市新屋日吉町

2016/07/27取材

 

日吉神社は山王社とも呼ばれ、大同元年(806)、勝平山の麓に創建された。その後、天長7年(830)の大地震の為、川の流れが大きく変わり、新屋南方およそ五町の地、字田中屋敷に移転、更に永治元年(1141)現在の地に遷座したという。

古くから、近江坂本にある大社日吉神社の余材で御神体をつくったと伝えられ、近江坂本の別社と称している。

平安時代の末期、平泉の奥州藤原氏の郎党で、後に源頼朝に仕えた由利忠八郎維平がこの地を所領した時、七千刈を寄進し、その後由利を治めた赤尾津光善からも七千刈を寄進された。

しかし関ヶ原の戦いの後に、この地は最上義光が領するところとなり、赤尾津氏は最上氏の家臣となったが慶長の末(1615頃)に赤尾津氏は改易となり、この地は最上の重臣楯岡豊前守満茂が領することになり、日吉社の社領はことごとく没収され、社頭もさびれた。

これを憂いた赤尾津氏の遺臣の小野金助守就は、楯岡満茂に陳情し、社殿の修復を許されたうえ七千刈の寄進を受けた。その最上氏も元和8年(1622)に改易となりこの地は佐竹氏が領するところとなったが、佐竹藩の歴代藩主からも崇敬を受け、社殿の改修など篤い庇護を受けた。

明治に入ってからは明治12年(1879)に県社に列せられたが、明治28年(1895)に社殿から出火し、社殿や御神体など悉く焼失した。現在の本殿は大正6年(1917)に新築されたもの。