秋田県男鹿市脇本脇本字七沢

震災前取材

 

この地の菅原神社 は、鎌倉時代の正応年中(1288~93)に、当時この男鹿を領した安東氏の氏神として祀られたもの。その後安東愛季や実季からも引き続き崇敬され、天正19年(1591)再建された。しかし、慶長7年(1602)、安東氏が常陸へ国替えのとき遷座しようとしたが、この地に鎮座の旨の御宣託があり、以降脇本村に託された。

当初は、脇本城の本丸南山上に位置していたが、江戸時代初期の承応2年(1652)の地震により山が崩れ、佐竹藩家老真崎兵庫介が現在地に再建、その後真崎家が代々にわたり毎年の祭礼を司り、江戸時代の全国的な天神信仰の浸透とともに近郷近在の信仰を集め、藩主の参詣もあり庇護を受けた。

江戸時代の紀行家の菅江真澄もこの地を訪れ、脇本城の栄枯盛衰を見てきただろう境内地にある「細葉の椿」に一句詠んでいる。

天満宮の神垣にはいって額づく。実季も友季も、この神を朝夕に祈り敬い、その社前に占いなどしたことだろう。細葉の椿という古木がある。

生い茂る 細葉の椿 ふとまにの うらなみかけて 八千代経ぬらし

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