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秋田県仙北市田沢湖卒田字黒倉

2016/09/24取材

 

往古より、この地は龍神、水分神、養蚕の守護神として遠近各地より崇敬を受けていた。

康平元年(1062)、前九年の役で、源義家が盛岡厨川の柵の安倍貞任を攻めるため、この地より玉川の川筋を進もうとし、川の流れの静かなることを願って持仏を祀って祈願した。

祈願を済ました義家は、再び持仏を懐にし厨川の柵を攻め勝利を治め再びこの地に戻ることができた。義家はこれは仏のお陰と改めて堂宇を建てて懐の持仏を祀ったという。

この祈願した持仏を懐にいれお守りとして持っていき、再び帰ってきたことから「懐き還る」「懐還神社」と言い伝えられる。

抱返村の開墾のはじめ、この地は天気が続き、その為水源が枯れて植え付けた苗が枯れ死ぬという騒ぎになった。

これを聞いた佐竹藩主は、役人を遣わして検分するに、聞きしにまさる悲惨な様子に、抱返の水源に雨乞いをしたところ、不思議にもたちまちに雲がわきいで大雨となり、苗も生色をみせ、村人たちは胸をなでおろし、水尺大明神を奉祀したという。

この開墾で、この抱返の地より岩山に穴掘り堰筋を掘り開田を計り、神社有地の一角を取入口とする若松堰は、付近一帯の重要な水路となっている。