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秋田県大仙市高梨字大嶋
2015/09/15取材
旧池田氏庭園は、明治時代後期から大正時代にかけて作庭された日本庭園である。仙北平野のほぼ中央に位置し、約4haの敷地は東に奥羽山脈、西に神宮寺岳、南西に鳥海山を遠く臨む広大な田園地帯に囲まれている。平成16年(2004)、秋田県内では庭園として初めての国指定名勝となった。
池田家の祖は、江戸時代初期の高梨村肝煎を務めた孫左衛門にさかのぼると伝えられる。文化期(1804~18)頃に、名字を許されたとされ、幕末頃から明治初期にかけて在村地主に成長した。明治9年(1876)には、耕地約300町歩と山林原野を所有し、山形県の本間氏・宮城県の齋藤氏と並ぶ、東北三大地主に数えられた。明治時代から第二次世界大戦後の農地解放まで、秋田県の政治、経済、文化に大きな功績をのこした資産家である。
大仙市東部の田園地帯に位置しており、約4万2千㎡の広大な敷地は、池田氏の家紋にならい亀甲の平面形になっており、周囲は石垣を伴う堀と土塁で区画されている。仙北平野の特徴の屋敷林をともなっている。
庭園は、池泉廻遊式の庭園で、笠の直径が約4メートルもある巨大な雪見灯籠、大正11年(1922)竣工の洋館などを配している。明治29年(1896)の陸羽地震により家屋が倒壊したのを機に、耕地整理事業と併せて所有地を集約し、大正時代にかけて、後に近代造園の祖と呼ばれた造園家長岡安平により造られた。
洋館は、大正11年(1922)に竣工しやもので、秋田県内で最初の鉄筋コンクリート造建築物で、ルネサンス様式を取り入れている。外壁は白磁のタイル張りで、御影石の基壇がめぐり、車寄せの柱には国外から取り寄せたと言われる白色大理石が使われている。洋館内の随所にシャンデリアがきらめき、貴重な高級壁紙金唐革紙が部屋を彩る。