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秋田県大仙市大曲丸の内町

2015/09/15取材

 

別名:石造五重塔

虎王丸塔がある八幡神社は、かつての大曲城の土塁上にある。

総高3.2mで五層の笠からなり、初層の中央月輪の左右には、(右)右志為虎王丸、(中央)月輪中種子、(左)○○元亨三年七月五日敬白、とあり、その左右側面に月輪を刻み、種子を刻んでいる。石質は塔身が流紋岩、その他は凝灰岩である。

寛政末から享和の初め頃、付近の土中より掘り出され、その際、木履歯牙、太刀等も出土したという。種子の書体と塔の形式共に鎌倉期の典型的なもの。虎王丸のために建立された供養塔と思われるが、虎王丸という人物については、未詳の部分が多い。

「羽川秋田神社縁起」の文中『向に、どや館と申処に阿弥陀堂、観音堂』とある阿弥陀堂が八幡神社となった。と菅江真澄は考証している。
「羽陽仙北伝記」に永享9年秋田定季が仙北に侵入したとき、本堂伊勢守親貞が300余騎で「土屋の八幡」のうしろに陣地を定めたとある。

大曲城の鎮護の神で、前田氏が崇拝し、落城後も前田氏の家臣佐藤大学が奉祀し、虎王丸の碑を祀っていた。

境内には、昭和31年5月21日に秋田県重要文化財に指定された「虎王丸の五重の層塔」がある。

中央と左右側面に月輪を刻み、種子を彫る。

中央はア、右はアク、左はアーで、発心、発行、涅槃門の種子。

中央月綸の右に「為虎王丸」、左に「元享三年七月五日敬白」と刻銘されている。

紀年銘のある塔身は鎌倉末期の五輪塔の地輪、五層の笠や宝珠は室町期の五重の層塔であり、また、五輪塔は鎌倉期北条氏の徳宗御内人であった安東氏との関連が深く、元享3年の紀年は大曲の地名が初見される正和元年より10年下がるだけで歴史的に最も重視されている。