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秋田県大仙市蛭川熊野山

2015/09/15取材

 

大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐のためこの地方に至ったおり、蝦夷の頑強な抵抗にあい苦戦した、そこで一堂宇を建立し、「征夷」を祈願したことが、蛭川薬師堂の起源であると伝えられる。

古来から信仰の対象となっていた聖地大平山の中腹に鎮座していることから、この地一帯は信仰の対象となっており、この薬師堂も蛭川部落の鎮守として崇敬され、特に眼病にご利益があるとされている。参道には樹齢300年近い杉が数十本立ち並び、33巻能増が立ち並んでいる。