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秋田県八郎潟町小池

2015/08/28取材

 

この地方では、永禄年間(1558~1569)、檜山城の安東実季と湊城の安東友季との同族争いが起きていた。この地を治めていた浦城の三浦兵庫守盛永は、その争いに巻き込まれ、元亀元年(1570)、実季の大軍に攻められ、子千代若と妻小柳姫を城から落とし自害した。

身重の小柳姫は、五歳になる千代若とともに舟で城を逃れたが、この小池集落で産気づき、老柳の洞で男子を産み落とし、腰元7人とともに自害して城主の後を追ったと言われている。姫18歳の時と伝えられる。

父母を失った千代若は、この地に祠を建てて柳の木を植え、母の霊を弔い無事逃れた。柳のあった所には御前柳大明神があり、今では安産の神として住民の信仰を集めている。