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秋田県男鹿市北浦西水口字一ノ目潟

震災前取材

 

この男鹿半島の先端部、戸賀湾のそばに3つの円形の湖があり、東から、一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟と名づけられている。これらの湖は、マールと呼ばれる地形の典型的なもので、東北ではこの男鹿目潟火山群が唯一のものである。

地下深くから高温のマグマが上昇し、地下水などと接触すると水は高温になり水蒸気に変化、体積を急膨張して爆発する。この噴火の跡を爆裂火口といい、周囲に堆積物をほとんど残さず、やがて地下水で湖ができる。一ノ目潟は約9千年前、二ノ目潟と三ノ目潟は約4千年前の縄文時代に形成されたと推定されている。

一の目潟は直径約600m、水深44.6m、二の目潟は直径約400m、水深11.8m、三の目潟は直径約400m、水深31.0mである。

この一の目潟には次のような伝説が伝えられる。

この一の目潟の主は美しい姫であった。この姫に八郎潟の主の八郎太郎が恋をし毎晩のように通ってきた。しかし姫はこれを嫌い、真山の神様に助けを求めたところ、真山の神様はこれを聞き入れた。ある晩、いつものように雨雲にのって八郎太郎がこの地に現われると、待ち構えていた真山の神様は弓をかまえ矢を射ると、矢は狙いをあやまたず八郎太郎の片眼を射抜いた。

八郎太郎は、この日を限りに一の目潟の姫をあきらめ、その後、田沢湖の辰子姫の所に通うようになったのだという。このことから、一の目潟にすむ鮒はみな片眼になったと云う。