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秋田県湯沢市小野

震災前取材

 

小野城は、雄物川左岸の、東西に伸びる比高約90mの丘陵突端に築かれた山城である。最頂部を主郭とし、北東方向の緩い斜面に、不規則な階段状の郭が配されている。主郭は東西約100m×南北約40mほどの規模で、主郭西側には、6~7mの段差で区画された東西約70m×南北約40mの二の郭群がある。屋根鞍部には深さ2m、1.5m、15mの三条の堀切と、これに連続する竪掘が見られ、堅固な造りになっている。

小野城は、鎌倉御家人小野寺経道の入部に従った、姉崎六郎によって院内の押さえとして、慶長、文永(1249~1274)の頃築城されたと伝えられる。

姉崎氏は、その後小野寺氏の重臣としてこの地を領し、小野寺氏の平鹿、仙北侵攻に貢献したが、天文15年(1546)頃、小野寺稙道の代に、小野寺氏の内紛により誅殺された。

文禄2年(1593)、最上勢の雄勝侵攻のとき、小野寺氏の家臣の町田長右衛門が領民300余人とともに城に篭もり応戦したが落城したと伝えられる。