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秋田県湯沢市院内銀山町

震災前取材

 

金山神社は、慶長12年(1607)、院内銀山が開かれると、その総鎮守として創建された。当時は「山神宮」と呼ばれ、明治に入って「金山神社」と名づけられた。

秋田藩主の尊崇も篤く、藩主直筆の絵画や金灯篭などが寄進されている。また境内には 、山師や金名子(かなこ)が奉納した扁額、狛犬、石灯篭が多数あり、往時の隆盛をしのばせる。

院内銀山は、江戸時代を通じて日本最大の銀山であり、最盛期には、戸数4千、人口1万5千人となり藩内で最も大きな街となり、「出羽の都」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。

現在の社殿は、文政13年(1830)に、藩命により建立されたもので、この時期には、平均年産が1千200貫(約4.5t)にも上り、「盛り山」と呼ばれていた。現在の社殿内部の本殿は、総欅、総うるし塗りの流れ作りの精巧をきわめたものと云う。