秋田県湯沢市院内銀山町

震災前取材

 

院内銀山は、慶長11年(1606)に発見され、秋田久保田藩は銀山奉行を定め開山した。当時の銀山従事者は7千人だったと云う。当時は、ローマで作成された地図にもその名が記され、江戸時代を通じて日本最大の銀山だった。

最盛期には、戸数4千、人口1万5千人を擁し、城下町久保田をも凌駕する藩内で最も大きな街となった。各地から人と共に文化が流入し、「出羽の都」と呼ばれるほどの繁栄を誇った。

この地には寺があったが、その跡地に江戸時代後期に長床が置かれた。長床は銀山上層役員たちの集会所として使われ、時折、鉱夫たちのために芸能上演なども行われた。

明治5年(1872)、院内銀山町役場となり、明治7年(1874)には、一室に白銀小学校が開設された。

しかし、明治末期には銀が暴落し採算が悪化、大正年間(1912~26)には規模は大幅に縮小され、銀山町も昭和20年代に解体された。院内銀山も、昭和29年(1954)閉山となり350年間の歴史に幕を下ろした。

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