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秋田県横手市雄物川町沼館字沼館

震災前取材

 

この八幡神社は、沼館城三ノ郭の位置にある。現在の雄物川町矢神の矢神八幡神社が始まりとされ、戦国期のはじめ、小野寺稙道がその勢力を広げ、稲庭城からこの地の沼館城に本拠を移したとき、その館神として分霊し建立したと云う。

その後、沼館城は、天正18年(1590)に、豊臣秀吉の検地に抵抗した「仙北検地騒動」の拠点となり、最上義光らから攻められ落城したが、そのときに社殿も焼失した。

江戸時代になると、この地は秋田久保田藩の藩領となり、かつてこの地で戦った佐竹氏の祖の新羅三郎義光ゆかりとして佐竹氏の庇護を受け、寛永20年(1643)に再建され、佐竹家の家紋の「月印五本骨扇紋」の使用を許された。

現在の社殿は、明治12年(1879)、秋田久保田城にあった神社を移築したものと伝えられる。

この神社の、毎年9月の宵祭りには、参道で、後三年の役当時に、敗走する義家勢の馬の背で、偶然発酵してできたとされる納豆が売られることから「納豆八幡」とも呼ばれている。