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秋田県横手市平賀町浅舞字浅舞

震災前取材

 

この浅舞には、推定樹齢500年以上の槻の巨木がある。幹周りは8.3m、樹高は35mあり、江戸時代には、この木の西側には御役屋が建てられ、明治初期まで、この地方の司法、行政の中心だった。

かつて、この槻の木の下には小さい塚があり、次のような話が伝えられている。

秋田久保田藩二代目藩主の佐竹義隆が、この地で鷹狩りを行ったとき、御鷹は、この大槻から鍋子清水まで飛び松の木に止まった。その地には、手裏剣の名手の浪人が住んでいた。この浪人はその鷹を見て、傍らにあった二本の縫い針を手裏剣として鷹めがけて投げたところ、狙いたがわず、鷹の両目を射抜き、鷹は落ちて死んだ。

この話は大きく評判になり、浪人は鷹が藩主の御鷹であることを知り、驚き、その日の内に行方をくらましてしまった。佐竹公は、愛鷹よりも、その浪人の武芸を愛でて、行方をさがさせたが結局探すことはできなかった。佐竹公は、この愛鷹を槻の木の下に埋めて塚を築き、供養したと云う。