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秋田県横手市睦成字滝ノ沢

震災前取材

 

滝ノ沢は滝の景勝地であり、かつてこの地には塩釜桜が自生していたとされ、江戸初期には、佐竹義宣の側室の岩瀬御台がよく散策に訪れていたと云う。

岩瀬御台は、葦名盛隆の二女で、後に須賀川の二階堂盛義の養女となった。しかし、天正17年(1589)、二階堂氏は伊達政宗の攻撃により滅亡し岩城氏に身を寄せたが、後に佐竹氏を頼った。

慶長7年(1602)、佐竹義宣が秋田へ転封になるとこれに従い、やがて正室を失っていた義宣の寵愛を受け後室となった。しかし、後に不縁となり横手城代の須田美濃守盛秀に預けられ、義宣から化粧料として横手の大沢村に二百石を与えられた。

この滝ノ沢は、御台が横手での30余年の歳月の慰めとした場所と伝えられている。

滝の高さは約5m、幅は約10mで、滝の岩棚は、上部が凝灰岩質砂岩で、下部はそれよりやや古い硬質の砂質泥岩からなる断層崖となっている。

古くから滝ノ沢霊場として知られ、周囲には三十三観音、薬師如来、不動明王、五輪塔が安置されている。