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秋田県男鹿市北浦入道崎字昆布浦

震災前取材

 

入道崎は、男鹿半島北西端に位置し日本海に突出している。付近には海岸段丘が発達してお り、落差30mもある荒々しい海岸を見せている。またそれとは対称的に、断崖上には穏やかな草原が広がっている。

この入道崎は、北緯40度線上にあり、それを印した安山岩のモニュメントが配置されており、白黒縞模様の入道崎灯台とともに、この岬のシンボルになっている。岬からの夕陽も美しく、日本の夕陽百選にも選ばれている。

 

この地には、次のような伝説が伝えられる。

昔、この男鹿には、鬼王丸を族長とした蝦夷が、狩りや釣り、山菜や海藻を採取しながら平穏に暮らしていた。しかし、大和朝廷は陸奥の地を次々と征服し、ついにこの男鹿にも坂上田村麻呂の軍が攻め込んできた。

田村麻呂の軍は、雪が降り積もっている時期だったが、戦い慣れている上に多勢であったので、蝦夷はたちまちこの入道崎に追いつめられてしまった。鬼王丸の子の小鬼丸は、男鹿蝦夷の血と知恵がなくならないように、女、子供と老人を丸木舟で沖へと逃がした。しかし、小鬼丸の妻は、夫と戦うことを願い、逃げることを拒んだ。小鬼丸らは、丸木舟が矢のとどかない沖へ出るまで、最後の力をふりしぼり崖の上で戦った。

矢尽き、刀折れ、傷つき血だらけになった小鬼丸たちは、雪の中、船が沖へ離れていくのを確認すると、つぎつぎに崖から海へ身を投げた。

蝦夷が涙で船出した海辺は「蝦夷浜」と呼ばれ、ハマナスの赤い花は、蝦夷が流した血の涙だと伝えられ、男鹿では盆にはハマナスの赤い実を仏壇に供える風習が今も残っている。