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秋田県横手市増田町増田

2013/08/19取材

 

横手市増田町は、横手盆地の南東部にあり、雄物川支流の成瀬川と皆瀬川の合流点に立地している。南北朝期に小笠原氏が増田に城を築き、その後土肥氏が関ヶ原の戦いの頃まで統治していたとされる。

増田は、手倉街道沿いにあり、江戸時代には皆瀬川の舟運などで商業地として発展した。増田の朝市は寛永20年(1643)始まり、現在に至るまで連綿と続いている。増田は特に葉タバコや生糸は一時期秋田県内最大の産地となり、増田商人の多くはこれらを主力商品とし、物資の集散地として賑わった。

明治時代になると、社会構造が大きく変化したが、結果として商業活動は活性化し、産業面に大きな発展が見られた。この時期に増田の商人は共同で増田銀行(現在の北都銀行の前身)を創設させ、増田水力電気会社や増田製陶会社などの会社も設立された。また大正時代には、吉乃鉱山の採掘量の増加もあり、商業活動は活発化した。

明治以降、鉄道は引かれず、また主要街道の羽州街道から外れていたこともあり、行政や商業の中心は次第に横手や湯沢に移っていった。しかしそのためか、昔の町屋が比較的に良く残っており、特に蔵は多く、梁や柱に漆をぬる増田町独特の形式があり、あたらしい形の賑わいを取り戻しつつある。