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秋田県井川町坂本字山崎

震災前取材

 

坂本城は、北西から南東にかけて細長く3つの郭が置かれ、それぞれの郭は空堀によって区切られていた。現在は住宅地と井川中学校になっており、中央部に高さ4m、長さ40mの土塁が現存している。

坂本城は安孫子喜平次の居城であったといわれる。安孫子氏は、天正17年(1589)の湊合戦において湊安東氏に付いた。しかし湊安東氏は敗れ、安孫子氏は帰農し、以降は湊姓を名乗りこの地の肝煎を勤めた。

安東氏は、湊安東氏と檜山安東氏の二流があり、古くから争っていた。戦国後期、湊安東氏は安東尭季が後継者を定めないまま亡くなり、宗家であり尭季の娘婿でもある檜山安東氏の当主愛季が、両家の統合を図るため弟の茂季を送り込んだ。

しかし、それに反発した湊安東氏配下の国人の一部が反乱を起こした。この反乱は愛季により鎮圧され、愛季が湊城に入ることによって両家を統合し、男鹿半島から秋田・比内地方を支配した。しかし愛季が没しその子の実季が家督を継ぐと、湊安東高季が謀反し湊騒動が起こった。しかし実季は由利の赤尾津や羽川氏の援助でこれを鎮撫し、秋田郡の支配権を確固たるものにした。