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秋田県秋田市八橋本町一丁目

震災前取材

 

平安時代後期、源義家に滅ぼされた安倍頼時の子宗任が、比叡山で修験者となり、晩年近江の日吉山と岩清水八幡を勧請して、外旭川の笹岡に修験寺日吉山延命寺無量寺院を建立したのが始まりと伝えられる。

武神として歴代領主の崇敬を受け、元享2年(1323)には新城館主が社殿を造営。、同地に日吉山八幡宮を造営、応永2年(1394)には上新城に遷座され修築された。天正17年(1589)には、檜山の安東実季が湊合戦で安東道季に勝利すると、守護神として飯島に遷座し社領200石を寄進した。

藩政期には、秋田6郡領主となった初代秋田藩主佐竹義宣も崇敬し、元和元年(1615)に八柳狐森に遷宮、寛永2年(1625)社殿を造営したが、同19年(1642)に雄物川の氾濫で社殿の大半が流失し、現在地に再建し寛文2年(1662)遷座した。現在の拝殿は安永7年(1778)に、本殿は寛政9年(1797)に建立されたもので、社殿には見事な彫刻が見られる。その他境内には狛犬も5対あり、神橋や本殿には神猿などの彫刻を見ることができる。

この日吉八幡神社は、当初から修験道と関連が深く、江戸期には神仏混交だったようで、社殿の北側から見ると仏式、東側から見ると神式の建物配置となっており、その神仏混合様式も興味深い。

佐竹氏は久保田城下の町割りで、外町の鎮守とし、主に町人たちから八橋の山王さんとして信仰を集めた。明治時代には県社に列せられ、現在も近隣住民に親しまれている。