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秋田県秋田市大町五丁目

震災前取材

 

戊辰戦争の際、秋田久保田藩が奥羽越列藩同盟を離脱する動きを察した仙台藩は、秋田藩に対し12名の 使者を送った。城内では勤皇派と同盟派が激しく争い、最終的に藩主佐竹義堯の裁断で、奥羽越列藩同盟からの離脱を決定した。

西軍参謀の大山格之助の命により、秋田藩士らは、この川反の茶町の旅館に宿泊していた仙台藩士を殺害、残る者も捕らえ全員殺害し、首はこの地の五丁目橋付近にさらされた。

川反には、この中の仙台藩士が馴染みにしていた遊妓がおり、この遊妓は、その仙台藩士の首に、着ていた小袖をそっとかけてやったと云う。またかつてこの地で営業していた小料理屋の主人は、約30年間、毎日店で線香をあげ仙台藩士の供養をしていたと云う。

その店が、五丁目橋の拡幅工事で取り壊されることになり、これをきっかけに慰霊碑建立の話が持ち上がり、平成12年(2000)碑が建立された。

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