秋田県仙北市角館町字古城山

震災前取材

 

別名:古城山城、小松山城

角館城は、古城山とよばれる標高166mの半独立丘に築かれた山城。戦国期には戸沢氏の本拠地があったことで知られている。城山は公園として整備され桜の名所となっており、主郭を初め数箇所の大きな郭平場が見られる。

築城者は定かではないが、一説には南北朝時代末期、戸沢氏重臣の菅利邦によって築城されたと云われる。応永30年(1424)、利邦は上浦郡の小野寺氏と通じて謀叛を起こし、戸沢家盛がこれを討ち城を開城させ、後に居城をこの地に移したと云う。

その後、戸沢氏は北浦郡内の国人領主の仙北前田氏、本堂氏、楢岡氏を傘下に組み込み勢力を拡大した。天正年間に活躍した当主戸沢盛安は、「鬼九郎」「夜叉九郎」の異名で呼ばれこの地に威を張った。

盛安は外交戦略にも長け、天正7年(1579)には織田信長に鷹と名馬を送って誼を通じ、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐にはわずか9騎ながらも参陣し、北浦郡4万4千石の所領を安堵された。盛安は小田原の戦いで討ち死にするが、その後も戸沢氏は関ヶ原の戦い、大阪の陣など、情勢を見ながら適切に対処し、最終的には現在の新庄市を中心として6万石を領した。

慶長7年(1602)、戸沢氏は常陸松岡4万石へ転封となり、佐竹義宣が秋田久保田に入り、この地は佐竹領となった。この地には伊達政宗に会津の地を追われた佐竹義宣の弟の葦名盛重(後の義勝)が1万5千石で入り、現在の角館の町割を行った。元和6年(1620)、一国一城令により廃城となり城主は麓の屋敷を居館とした。

明暦2年(1656)、葦名氏が断絶すると、佐竹北家の義隣が出羽長野紫島城から角館へ入部し、以後明治まで続いた。

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