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秋田県仙北市角館町上新町…天寧寺

震災前取材

 

畑駒岳(はたく がく)は、藩校の漢学者益戸滄洲に師事し、その支援を得て角館町の自宅に家塾「到道館」を開設し、角館の士に教学の芽を育てた。

これにより後年、佐竹藩の学問興隆の一翼を担った多くの学者や医家、行政官、産業人を輩出させる基礎を築いた。

畑駒岳は、明和7年(1770)、37歳の壮年で病死した。

「到道館」はその後明治の初期まで教育の場として開かれていた。