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秋田県小坂町小坂字中小阪

2011/10/02取材

 

この屋敷は、かつて小坂町の地主だった工藤作兵衛の住居として明治18年(1885)に建てられたもの。この地は、かつての小坂村の中心地だった。

建物の規模は非常に大きく、また部屋数も多く、1階と2階を合わせて約124坪もある。大玄関の高い式台などに武家住宅の特徴が見られる。住宅部分は突起部のない「直屋造り」で、屋根には「箱棟」を乗せ、茅で葺いていた。間取りは鹿角地方の農家の形式が取り入れられ、大きな囲炉裏のある広い板ノ間と、土間に面した使用人部屋に地主屋敷の特徴が見られる。

江戸時代、この地は南部盛岡藩に属し、津軽、秋田両藩との藩境に位置していた。そのため藩では、御境奉行の下に境目管理にあたる御境古人という役職をおき、宝暦~安永年間(1751~1780)には、当時の工藤家当主がこの職をつとめ、藩から御給人として、士分に取り立てられた。

工藤氏は明治期に地主として成長し、作兵衛の長男の茂太郎は、小坂鉱山の労働争議の盛んな、大正7年(1918)から昭和12年(1937)の間、三代、四代、七代の小坂町長をつとめていた。

この屋敷は平成10年(1998)に小坂町に寄贈され、現在は一般に公開され、まちづくりの拠点として活用されている。