秋田県鹿角市花輪

2011/10/02取材

 

専正寺の開基は、信州高井郡を領していた井上専正とされる。

専正は、南北朝期から続いていた伊勢国司の北畠氏の幕下として活躍した。織田信長が伊勢に矛先を向けると、信長との戦いに多数出陣し戦功をあげたが、信長の調略や謀略により体勢の立て直しは難しく、結局、北畠氏は信長に屈した。しかし信長は手を緩めず、北畠氏の旧臣らに命じて三瀬館を襲撃させ、北畠具教をはじめ北畠一族のことごとくを殺害した。

このとき井上専正らは、伊勢の田丸城に拘禁されていた九代伊勢国司北畠具房の正室の鶴女を救出した。このとき鶴女は具房の子を身ごもっており、逃亡先で後の北畠昌教を生んだ。

専正らは、赤子の昌教を連れて本願寺に逃れた。専正は顕如上人の教化を受けて出家得度し教順の法名を受けた。しかしその本願寺も陥落し、専正は昌教を伴いこの鹿角の地に逃れ専正寺を開いた。専正は住持となり、北畠氏再興を図り、昌教をかくまいつつ養育し、昌教が長じては自らの娘を昌教の妻とした。

昌教が大湯折戸館に移り、その子は浪岡とこの地の折戸に分かれ、この地の北畠氏は折戸姓を名乗るようになった。

専正寺には、顕如上人より下付された、親鸞聖人の御染筆、金紙金泥六家名号、また御絵伝、専正の父が所持していたという粟田口吉水の短刀が寺宝として伝えられていると云う。また、境内の大銀杏は、専正がこの寺を開いたときに手植えしたものと伝えられる。

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