秋田県鹿角市尾去沢獅子沢

2013/06/10取材

 

尾去沢鉱山は、鉱物が溶け込んだ熱水が岩盤の割れ目に染み入り、地表近くで冷え固まった鉱脈型鉱床の典型的なものである。銅。金、銀、鉛、亜鉛が産出されたが昭和53年(1978)に閉山した。

現在跡地には、選鉱場、大煙突等が残されており、近代化産業遺産等に選ばれている。また、一部は、坑内や鉱山施設の見学や砂金取り体験のできるテーマパーク史跡 尾去沢鉱山となっている。

和銅元年(708)に銅山が発見され、産金が東大寺の大仏や、中尊寺で用いられたとの伝説が残っている。後に民謡『南部牛追唄』で「田舎なれども南部の国は西も東も金の山」と歌われる鉱山の一つとして開発が行われた。

江戸末期、財政危機にあった南部藩は御用商人鍵屋村井茂兵衛から多額の借財をなしたが、身分制度からくる当時の慣習から、その証文は藩から商人たる村井に貸し付けた文面に形式上はなっていた。明治元年(1869)、採掘権は南部藩から村井に移されたが、諸藩の外債返済の処理を行っていた明治新政府で大蔵大輔の職にあった長州藩出身の井上馨は、明治4年(1871)にこの証文を元に村井に返済を求め、その不能をもって大蔵省は尾去沢鉱山を差し押さえ、村井は破産に至った。

井上はさらに尾去沢鉱山を競売に付し、同郷人である岡田平蔵にこれを買い取らせた上で、「従四位井上馨所有」という高札を掲げさせ私物化を図った。村井は司法省に一件を訴え出、司法卿であった佐賀藩出身の江藤新平がこれを追及し、井上は大蔵大輔を辞職した。これが尾去沢銅山事件である。

尾去沢鉱山には、多くの伝説が残されている。

 

・梵天銅

和銅元年(708)、時の朝廷が発した銅鉱探しの命を受けて、村人たちがこの付近一帯で鉱石探しをしていた。そのとき大森山のふもとで、獅子のような姿をした異人に出会った。村人は手に手に梵天を持って追いかけたところ、異人は魔力で梵天を空高く巻き上げ、谷に投げ捨て逃げ去ってしまった。

村人は谷に下りこの梵天を引き抜いてみると、銅鉱石であることを示す「あかがね」の土がついていた。村人は大いに喜び、鉱石から銅をつくって国守に納め、国守はこれを朝廷に献上した。これ以降、尾去沢の銅は「梵天銅」と呼ばれ、発見されたところを「獅子沢」と呼ぶようになったと云う。

・大森山の怪鳥

文明13年(1481)、ある晩、尾去村の長が眠りにつくと、夢枕に白髪の老人が現れ、新山を開けと告げた。村長は始めは何のことか分からなかったが、その後も6夜も続けて白髪の老人が夢枕に立った。村長は尋常なことではないと思い始めた。

そのような時、尾去村の奥の大森山から、翼の差し渡し十余尋(約20m)にもなり、口から金色の炎を吹き、牛のほえるような声を立てる大鳥が現れ民百姓を恐れさせた。村人らがこの大鳥を滅ぼしてくれるよう毎夜天に祈ったところ、ある時、大森山の方で鳥の泣き叫び苦しむ声が聞こえ、これ以降はこの怪鳥が飛んでくることはなかった。

不思議に思った村人が声のした方を訪ねると、赤沢川が朱色に染まっており、大蛇の頭に牛の脚を持ち、赤白金銀の毛を生やしたかの怪鳥が傷つき死んでいた。腹を裂いてみると、金銀銅鉱色の石だけがつまっていた。

村長は、夢で白髪の老人が新山を開けと告げていたのはこの山のことであったに違いないと辺りを掘ってみたところ、大量の鉱石が発見された。

だれが怪鳥を倒したのか、人か神かと訪ねまわったところ、大森山のふもとに獅子の頭のような血の付いた金鉱石の露頭があり、怪鳥を倒したのはこの神石であったものであろうと考え、大森山は獅子の体、連なる山々は獅子の手足であるとして、社を建立し、怪鳥を埋め奉り、大森山獅子大権現としたと云う。

 

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