みちのく悠々漂雲の記-岩手県-「盛岡・滝沢」のページです。

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盛岡市
銭湧石 昔、石の割れ目から古銭が「湧いた」巨石
弁慶石 滑り落ちない受験の祈石になった弁慶の力試し石
石川啄木歌碑 青春時代の啄木が愛した地の石川啄木の歌碑と狛犬
盛岡天満宮 「おでんつあん」と親しまれ、啄木も愛した地域の天満宮
花垣館跡 南下する南部氏と争い敗れた斯波氏の支城
敵見ヶ森 前九年の役の際に安倍氏が物見櫓をおいた地
南部利直の墓 戦国期を駆け抜けた南部盛岡藩初代藩主南部利直の墓
紺屋町界隈 盛岡南部藩の城下町の面影を伝える町並み
紺屋町消防番屋 六角形の望楼を持った明治洋風木造建築の消防番屋
旧九十銀行本館 啄木賢治青春館として使われている石造明治洋風建築
旧石井県令私邸 第二代岩手県令石井省一郎の明治洋風建築の私邸
石川啄木記念館 貧困生活の中で歌った漂白の歌人啄木の故郷の記念館
旧渋民尋常小学校 石川啄木が日本一の代用教員を目指し教鞭をとった学校
宝徳寺 石川啄木が少年時代を過ごした寺
姫神山 坂上田村麻呂が立烏帽子神女を祀った山
玉山館跡 南下する南部氏に従った河村氏一族玉山氏の居館
東楽寺 坂上田村麻呂に始まる十一面観音を祀る山岳信仰の寺
厨川城跡 岩手山信仰も司った中世厨川氏の居城
南部家廟所 南部氏初代南部光行と歴代盛岡藩主の墓
方長老庵跡 国書改竄で流され新しい知識をもたらした玄方
楢山佐渡の墓 戊辰戦争の責を負い斬首された南部藩首席家老
志波城址 坂上田村麻呂築城の古代城柵
鉈屋町界隈 城下町盛岡の下町の風情を残す町並み
厨川柵跡 前九年の役の最後の決戦となった貞任の居館
高松の池 盛岡城築城に際しての治水の為造られた堤
聖寿寺 南部家墓所のある南部氏の菩提寺
横川省三の墓 日露戦争の際の工作活動に従事した烈士の墓
報恩寺 南部守行開基の盛岡五山の一の古刹
五百羅漢 ほぼ完全な形でのこる499体の羅漢像
旧南部伯爵別邸 明治に建てられた南部伯爵別邸とその庭園
原敬生家 平民宰相原敬が少年時代を過ごした生家
原敬の墓 「平民宰相」と呼ばれ、暗殺された原敬夫妻の墓
十六羅漢 飢饉の犠牲者の供養で建てられた羅漢石像
旧岩手銀行本店 現在も使用されている重要文化財の明治建築
石割桜 南部藩の重臣北家の屋敷跡に咲く桜
おかんの墓 横恋慕され貞死した九戸一族おかんの伝説
鬼の手形石 岩手の県名、不来方の地名の由来の鬼伝説
北信景石塔 大阪方に走った光武者、南部十左衛門
徳清屋敷 盛岡藩財政とも関わった盛岡の豪商屋敷
舟橋跡 奥州道中盛岡城下の入り口の名物の舟橋
御蔵 北上川新山河岸の飢饉備蓄米の米蔵
円光寺首塚 南部行信側室お蓮の伝説を伝える供養塚
米内光政の墓 太平洋戦争終結に尽力した最後の海軍大臣
盛岡八幡宮 源頼義、義家父子が勧請した八幡社
盛岡城址 石垣の芸術とも言える南部の本城
滝沢市
岩手山 県内の多くの地から臨める大鷲伝説の岩手シンボルの山
追分の碑 岩手山と加津への分かれの道しるべ
日向一里塚 江戸時代初期の雫石街道の一里塚
鬼越蒼前神社 チャグチャグ馬っこの神事を伝える南部馬産地の中心の神社
餓死供養塔 うち続く飢饉の犠牲者の四基の供養塔
湯舟沢環状列石 縄文人の死生観が伺える環状列石遺構
矢巾町
和味一里塚 往時の姿をそのまま残す奥州脇街道の一里塚
幣懸の滝 マタギや行者が入山時に祈った滝
南昌山 宮沢賢治が友人と歩いた天気を司る霊峰
徳丹城跡 大和朝廷律令期の最後の城柵
紫波町
大巻館跡 斯波氏に飲み込まれ南部氏により没落した河村氏の居館
武田家住宅 この地の肝煎りを務めた豪農の曲屋
志和稲荷神社 南部氏の崇敬を受けた前九年の役からの稲荷社
樋爪館跡 奥州平泉の北の交易の拠点だった樋爪五郎の居館
志賀理和気神社 田村麻呂の時代からこの地の歴史を見てきた古社
南面の桜 藤原頼之と桃香姫の南北朝期の伝説
赤石 「紫波」の地名由来となった赤石
旧紫波郡役所 明治洋風建築の旧郡役所の建物
郡山城址 奥州管領紫波氏の陸奥支配の拠点
陣ヶ岡 田村麻呂から多くの武将の伝説の陣所
高水寺跡 吾妻鏡にも出てくる紫波の古刹
雫石町
旧秋田街道 幕府の公儀御馬買衆にも利用された秋田と盛岡を結ぶ街道
雫石代官屋敷跡 秋田街道沿い十ヶ村を統治した南部藩の代官所
雫石城跡 戸沢氏が建てたこの地の南北朝期動乱の城
滴石たんたん 「雫石」の地名発祥の清水
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